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<映画.comより>
人間の善悪やモラルを問う姿勢を貫き、物議をかもす作品を多数発表しているジョージ秋山の同名漫画を、大森南朋主演で実写映画化。金も仕事もなくセックスのことばかり考えている狸穴勇介が、苦悩しながら生きる意義、愛や幸せを見つけ出そうともがく姿を通して、人間の業を描き出していく。生きることに飽きてしまった勇介は故郷へ戻り、そこで顔にあざのある女性・岡辺京子と出会う。快楽を求める勇介は京子と関係をもち、そのままなし崩し的に同棲を始めるが……。俳優としても活躍し、「ぼくのおばあちゃん」「誘拐ラプソディー」といった監督作も発表している榊英雄がメガホンをとった。
撮影は二年ほど前、私の地元である五島市で行われていました。
妹や親戚などがエキストラとして参加しており、また友人が撮影に参加していたこともあり、
観ることができないかと心待ちにしていました。

その折、地元で試写会を行うということで、観てきました。

原作にも部分的に目を通していました。
というか、あまりにも心にクル作品だったので最後まで読めなかったので、続きが分かるかもしれないという思いもありました。

作品についての感想は以下にまとめます。
ネタバレありになると思うんで、それを承知していただけるならば以下へどうぞ

 
地元民ならではの楽しさ

うちの地元は古くは刑事物語、最近だと悪人などで映画の撮影が行われています。
そういった作品でも楽しめるのが地元民ならではのツッコミ。
「方向そっちでよかと?」「そこからそこには行けんやろー」的な。
今回は本当に、自分の近所の居酒屋やら、遊んでた場所やらが撮影の舞台となっていて、
本当に楽しめましたのと同時に、こういった人間の隠れた部分の表現が、
まさに近所で繰り広げられているようなリアリティを感じることが出来ました。


深淵なテーマ

原作と同じテーマを持っているわけで、胃の痛くなりそうな問いかけがなされるわけです。
そしてそれを、単純な感動作としてまとめ上げるのではなく、
深淵なテーマを、そのままオーディエンスの問題として提示するような作品でありました。


この作品を観ていて思い出したのは、漫画「鈴木先生」での演劇指導でのシーン。
演劇「ひかりごけ」の「訴える内容とは何か?」という問いに、
「人肉を食べるということに対して、頭でっかちの偏見で他人の極限状態をちゃんと想像せず批難することの是非」
「戦時中の思想統制による思考停止とヒステリーの恐ろしさ」
「人が人を裁くことのおろかさ、恐ろしさ」
こういった答えを、生徒たちは違和感を感じながら言いました。
それに対して、主人公の鈴木先生はこう答えます。
これらの答えはどれも国語のテストの解答としては決して悪くない…なかなかに優れた感想だ
(中略)そんな感想をすらすら言われるようじゃーその芝居は失敗だ!
なぜならそれはー観客が…安全な檻の外でー作品のテーマをゆるく消費して片付けてしまった証拠に他ならないからだ!
(中略)そんなのっぺりとした感想など絶対に言わせるな!言わせたら負けだと思え!
(中略)「観客本人がとても他人事に出来ないような生々しい自分事の問題」に…その象徴がつながっていることを実感としてがっつりつきつけるんだ!
この映画を観て感じたのは、この「どこか他人事に出来ないような生々しい自分事の問題」でした。
こういった感覚は、今までだとラース・フォン・トリアー監督の「ドッグスヴィル」を観た後に感じたものと同じでしたし(これも田舎が舞台でした…文字通りの「舞台」でしたが)、それらの映画同様、しばし絶句した後に、自分自身の問題と向き合わざるを得なくなるのでした。

私の地元に限らず、映画で描かれたようなことは、どこにでも起こりうることだと思います。
題材は同じでも、感じることは人それぞれあるのではないでしょうか?
そういうことを、オーディエンスに感じさせ、考えさせる映画なのではないかと思います。


薄っぺらい地域おこし感覚を凌駕する「地元愛」

この映画は、榊英雄監督の出身地であり、私の地元である五島市で撮影が行われています。
幼少から青春時代を過ごした町並みが、スクリーンに映るのはとても新鮮でした。
「悪人」は、広大な自然が題材として描かれてましたが、
この作品で扱われる「うらぶれた田舎の情景」みたいなものは
私個人の原風景であり、
きっと監督ご自身にとってもそうではないかと思います。

そこで繰り広げられる情事。
おそらく、この街をコマーシャライズ・ソーシャライズする上では、
齟齬が生じる表現ではあるでしょう。
しかし、なぜだかこういった表現を許せてしまう自分がいます。
それは、こういった人たちも許してきたのが、この街だからです。

榊監督が、この作品の実写化の話をもらい、田舎の漁師町ということで地元である五島を選んだのは、
もしやこういった感覚があったからなのではないかと、自分は思っています。

こういった感覚は、地域おこしなどに従事される皆さんとはあまり共有出来ない感覚かもしれません。
よそ者を排除する意図はないのですが、この街をマネタイズし、商業化・社会化を促すのが任務である向きとは、おそらくこういった表現は合わないでしょう。
でも、こういうことも許せてしまう「おおらかさ」みたいなものは、誰にだって感じて欲しいし、
この映画でなく別の機会でもいいので、感じてほしい。

誰にだって感じる地元、田舎の持つ「おおらかさ」を、
そのおおらかさが同時に持つ「残酷さ」を、
どこまでも追い求めて表現したのが本作ではないかと思います。

地元を愛しているとか、地域おこしに関わりたいという人たちに、
「意識高い系」の、ありがちな罠にハマってほしくない。という思いで、この映画を薦めたいです。